入学編〈60〉
「ホラ、いずみこっちに寄りかかれ。」
「な、何でですか、大丈夫ですよ。」
僕らはバス停についてすぐにバスに乗り、二人がけの席に隣り合って座った。
そして、座ってすぐに先輩は僕の肩を自分の方に寄せてそう言ってきた。
「なんでって今日は痴漢に遇ったり色々回ったりで疲れたろ?
寮に着くまで1時間以上あるんだし、休んでろよ。」
「つ、疲れたのは先輩も一緒じゃないですか。
何で僕だけ休んでなきゃいけないんですか。そんなの嫌です。」
「意地張るなよな。いいから寄りかかれ。」
「嫌です。」
「……寄りかからないと、チューすんぞ。」
「なっ!?そ、そそそそそんなの、ひ、ひひひ卑怯ですよ!」
「意地張るいずみが悪いんだろ。」
先輩はそう言って僕を完全に自分の体に寄りかからせた。
それにより、いつもの先輩の香りが寄り一層まして、なんだか急に恥ずかしくなった。
「も、もう……ね、寝ちゃっても知りませんからね。」
「それ目的に言ってるんだろ?
……まったく、初めから素直に寄りかかれっての。」
先輩は僕の言葉に満足そうに笑い、頭を撫で始めた。
それは力加減が絶妙で、僕の眠気を誘う。
気を抜けばすぐにでも眠ってしまいそうだ。
先輩の言うように今の僕は相当に疲れているみたいだ。
「眠いか?」
「……はい。頭撫でないで下さい、本当に寝ちゃいそう…。」
「いいよ寝て。寧ろ寝ろ。」
先輩は撫でるのを止めるどころか、さらに撫でる回数を増やしてきた。
それにより、さらに眠気を増す僕はとうとう体から力が抜け始めてきた。
はじめの頃は睡魔に勝っていたはずなのに、なんだかもう勝てる気がしない。
そんな僕に先輩は気付いているのか、撫でるてとは反対の手を僕の背中へと回し、ポンポンと優しく叩き出した。
そのダブルパンチは今の僕には効果覿面で、もう瞼がとても重い。
「──────。」
遠くの方で先輩が何か言っているみたいだ。
何を言っているのかはよく聞こえないけど、透き通るようなその優しい声を最後に僕は意識を手放した。
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* * *【浩太side】
俺が頭を撫でていると、ものの5分足らずでいずみはうとうとし出した。
言わんこっちゃないと思ったけど、言えばきっと頑固ないずみは寝るのを躊躇ってしまう。
だから敢えて何も言わずに俺は頭を撫で続けた。
そのお陰かどうかは分からないが、とうとういずみは眠るみたいだ。
「おやすみ、いずみ。」
完全に瞑ってしまった瞳を確認し、俺がそう呟いてもいずみからはもう返答は返ってこなくて、やっと寝たんだと分かった。
いつもは強がることが多くて、疲れていたりしても隠しているいずみも今日に限っては目に見えて疲れていた。
まあ、無理もない。
あんなキモおやじに痴漢に遇えば警戒して体力がなくなるだろうから。
ましてや、普段からスポーツをしている俺とは違い、余り体力のないいずみとっては尚更だ。
そう思うと、無性に罪悪感が芽生える。
少なくとも、俺がいずみを一人にしなければ、2回目の接触のときはもっと早くに対処出来た筈だ。
後悔と罪悪感の入り乱れる俺の心をいずみは気付いているのだろうか。
それ以前に、自分が痴漢にあったって言うのに俺のことを先に心配するコイツはいったいどれだけいい奴なのか。
そんな優しいいずみは今は小さな寝息を立て、俺の体に寄りかかりながら眠っている。
こんな可愛い奴が寄りかかって寝ているのだ。
回りにいる男の乗客達に対して、妙な優越感が芽生える。
……誰もこちらを見ていないのだが。
それでも、いずみを側に連れているだけで、正直周りにいる奴全員に自慢したい。
『俺はこんな可愛い奴と一緒に出掛けてるんだぞ、羨ましいだろ。』と。
まあ、そんなことをすればいずみはきっと怒るだろうからしないけどな。
それにしても、さっきのいずみは可愛かった。
チューするぞと言っただけで一瞬で顔を赤くし、口をパクパクさせていた。
きっと今までにキスをしたことも、する状況になった事もないのだろう。
(まったく、石橋と付き合うことになれば、そういうこともすることになるだろうに。)
………………。
そう思うと、何故だか腹が立った。
最近はいずみと石橋がキスをする…以前に、一緒にいるところを想像するだけで何故だか無性にイライラする。
それが何故なのかはハッキリとしないが、たぶんいずみを弟のように思っているからだろう。
弟がどこぞの馬の骨ともわからない奴と付き合うなんてどうしても許せない。
……これは兄と言うよりは父親っぽいのか。
まあそんなことはどうでもいい。
とにかく、いずみとアイツが付き合うことは俺には許せそうもない。
しかも、明日からは昼休みを一緒に過ごすと言う。
まったく、俺の気も知らないで……と思うけど、いずみと石橋との問題に俺の気持ちは関係ない。
いずみとは血が繋がっている訳ではないのだから、俺にはいずみと石橋が付き合うことを強く否定することはできない。
それがどうしようもなくもどかしい。
「……………………ハァ…。」
そんなことを思いながら、いつの間にか俺の胸に顔を埋めるいずみを見て小さく溜め息をついた。
後一週間もしない内に、いずみはアイツに答えを出す。
その答えがイエスであれば、俺は正気でいられるだろうか。
無理矢理にもそんな関係を壊してしまうかもしれない。
そうなれば、間違いなくいずみは俺を嫌うだろう。
正直、今の俺はいずみに嫌われたらたぶん立ち直れない。
今までが側に居すぎたせいか、いずみの存在が側にないと落ち着かない。
いずみの隣は俺がいる場所だ。
そこを石橋なんかに譲りたくなんてない。
そんなことを悶々と考える俺とは対照的に、スヤスヤ眠るいずみはとても気持ち良さそうだ。
そして、さっきまでいずみと石橋がキスをすることを考えていたせいか、俺の視線は無意識の内にいずみの唇へと向けられる。
男に見えないその顔に付いた唇は同様に男に見えないようなぷっくりとし、艶のあるものだった。
「…………ゴクッ。」
その唇を見ていると、何故か急激に体が熱くなり喉が渇く。
それを潤わせるために俺はゴクッと唾液を飲み込んだ。
この柔らかそうなその唇はどんな感触がするのだろう。
そう思うと、俺の視線はまるで何かに支配されてしまったかのように、いずみの唇で固まり、いつもより距離が近いからか、より鮮明に見えるそこは荒れたことなどないのではと思うほどに綺麗で艶々していた。
指先でそっと触れてみればさらにそれはよく分かる。
プニッとした感触が指から全身に広がって、俺の体は更に発熱する。
次第に呼吸も荒くなり、変な汗が額に浮かぶ。
そんな自分の体の変化に俺は抗うことなく、ゆっくりとゆっくりと、いずみの唇に自分のそれを近付けた。
「──────っ!?」
しかし、唇同士が触れあってしまうその瞬間、急に我に返った俺は慌てていずみの顔から顔を離した。
(な、なななな何やってんだ俺っ!?)
自分が今しようとしていたことを思い出し、急激に俺の顔は熱くなる。
今俺の顔はきっと真っ赤な筈だ。
なんてことを思いながら、頭を抱えた。
(お、俺……い、いずみにき、キスをしようと、したのか……!?)
そう思いながら、俺は慌てていずみを見た。
どうやら起きる心配は無さそうで、まだスヤスヤと眠っている。
しかし、窓際に座る俺の方からは反対側に座る乗客が見える。
いずみを見ると必然的にその乗客が視界に入る。
何の気なしにそこに座る乗客を見れば、驚いた顔でこっちを見ていた。
バッチリと合ってしまった視線に、さっきのことが見られていたことにようやく気付いた。
その証拠にその大学生くらいの女性の乗客は、顔を真っ赤にしながらこっちを見ていた。
そんな状況に俺は更に赤面した。
慌てて視線を反らして反対側を見ても、向こうからの一方的な視線を背中に感じる。
どうしようもなく居たたまれないそんな状況に、俺は物凄く後悔した。
(何故あのとき俺はいずみにキスをしようとしたのだろうか。
しかも、よりによって人に見られるなんて……。
あぁ…………死にたい。)
窓の外に向けている視線には変わりゆく景色が流れていて、そんな俺を心なしか癒してくれた。
(よしっ、もう絶対に反対側は見ない。)
と心に決めて、俺は窓に頭を付けて心に残る後悔といまだに背中に感じる視線と戦った。
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* * *【いずみside】
「───ん……。」
僕は不意に目を覚ました。
しかし、目を開けた筈なのに視界は暗く不思議に思った。
それにいつも嗅いでいる石鹸の香りがするような……。
「──ッ!?」
「ん、起きたのか?」
「あ、す、すいません!」
「いや、こ、こっちこそ!」
「?」
しばらく働かなかった頭を何とか使い今の状況を理解した僕はガバッと体を起こした。
僕は今の今まで先輩の胸に顔を埋めて寝ていたらしい。
ただ寄りかかっていただけだった筈なのに、いつの間にこんなことに…。
それにしても「こっちこそ」ってどう言うことなのだろう。
寄りかかっていた僕が謝るならわかるけど、先輩が謝る理由が見つからない。
それに、心なしか先輩の挙動がおかしい。
視線なんて泳ぎまくっている。
「そ、そろそろ起こそうと思ってたんだ。もうすぐ着くからな。」
「あ、はい!」
そんなことを考えている僕に先輩がそう言ったので、一旦考えるのは止めて、僕は自分の荷物の確認をした。
それからしばらくしてから学園前に着いたため、僕らは急いで降りた。
そのときの先輩は何かから逃げるみたいで、僕は終始首を傾げていた。
「や、やっと着いたな。」
「…あの……。」
「な、なんだ!?は、腹減ったか?ば、晩飯何にする?」
「あ、えっと、僕さっきまで寝てたので、何か作りますよ。
……じゃなくて、どうかしたんですか?なんだか顔も赤いですし。」
「な、なんでもない!なんでもないから!き、気にすんなよ!?」
「……もしかして…。」
「───ッ!?」
「……僕、寝てるときに何か先輩にしました?」
「へ?」
「僕が何かしたから、先輩が慌ててるんじゃないですか?」
「い、いや、なんもしてない!俺はやましいことなんて何も!?」
「……?」
「──ッ!?い、いや……と、取り敢えず、部屋帰ろうぜ!な!」
「はい……。」
今までにないくらいに挙動不審な先輩はあたふたと歩き出した。
それはまるで何かを誤魔化すみたいに思えたけど、聞いても教えては貰えなさそうだったので、僕は気にしないようにして先輩の後に続いた。
そして、寮へとたどり着い僕らは早々に部屋に戻りリビングで一段落した。
「何か飲みます?」
「だ、大丈夫だ……お、俺、先にふ、風呂入ってくるな!」
「え、あ、はい。」
「じゃ、そ、そういうことで!」
なんかいつもと完全に別人な先輩はお風呂場へと走っていき、いつもは掛けない鍵までかけた。
(…………僕、ほんとに寝てる間に何かしたんじゃないのかな…。)
今更ながら物凄く不安になったけれど、お風呂場からはもうすでにシャワーの音が聞こえてきたため、先輩に聞くことは叶わなかった。
それに、聞けたとしてもきっと先輩は教えてくれないだろう。
そう思った僕は、せめてもの罪滅ぼしに晩御飯は腕によりをかけようと思い、キッチンに向かった。
しかし買い物をしていないため、余り材料がなかった。
そのため、前に買っておいたカレールーを使うことにした。
そして、夕食の支度をし始めてから約30分。
いつもは15分くらいで上がってくる先輩は今日はやけに遅い。
何かあったのかな……と思っていたとき、先輩はようやくお風呂場から出てきた。
「お、お先。」
「あ、はい。今日はお風呂長かったんですね。」
「ああ、ちょっと考え事してて……それにしてもいい匂いだな。カレーか?」
「はい、今日水族館に連れていってもらったお礼に魚介たっぷりのスープカレーを作りました。
といっても、ルーを使ったので、後は煮込むだけなんですけど。」
「そうか……なんか匂い嗅いだら腹減ってきた。」
「フフ、まだ後30分は待ってください。ご飯も炊けてないですし。」
「ならいずみも風呂入ってこいよ。鍋は俺が見とくから。」
「いいんですか?」
「ああ。」
「……じゃあ、お言葉に甘えて。」
お風呂に入る前とは違い、すっかり落ち着きを取り戻した先輩は僕にそう言ってくれた。
だから僕は先輩の言葉に甘え、素早くお風呂に入った。
そして、上がった頃にはご飯も炊けていて、カレーも丁度いい具合に出来上がっていた。
それを少し早めの夕食として僕らは一緒に食べた。
先輩は3杯もおかわりしていて、元気になったのがよく分かった。
……しかし食事の際、一個だけ疑問に思うことがあって仕方がなかったため、僕はそれを先輩に聞いて見ることにした。
「……あの…。」
「ん?」
「……僕の顔に何かついてます?」
「えっ!?」
「なんだかさっきから先輩僕をチラチラ見てるので、何かついてるのかなって。」
「あ、いや、なんも!」
「ほんとですか?」
「ほ、ほんとです!」
「……なんか先輩やっぱり変ですよ?」
「──ッ!?」
「バスの中で本当に僕なにもしなかったんですか?」
「あ、ああ。(“いずみは”なにもしてない。)」
「……ならいいですけど、何か言いたいことがあればハッキリと言ってくださいね。」
「わ、分かった。」
本当に分かったのかどうかは謎だけど、これ以上言って先輩を困らせる訳にもいかないので、それ以上はなにも言わなかった。
それからはいつも通りに僕らはテレビを見たり話をしたりして過ごした。
そうしたいる内に次第にいつも通りになった先輩に安心し、23:00を回ったくらいに僕らはそれぞれ寝室に入った。
(今日は本当にたのしかったな…。)
ベットに寝転びながら今日のことを振り返り、自然と顔がほころんだ。
(キーホルダーも、凄く嬉しかった。)
部屋に置かれたスクールバックにはすでにそれは取り付けられている。
なんだか、それを見るだけで今日のことが思い出せる。
それと同時に先輩に対して鼓動が高まったことなども思い出されるのだけど、それも悪くない。
そんなことを心の中で思いながらベットの上で過ごす内に、僕はいつの間にか眠りに落ちた。
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